人生は役割がなくなることがゴール。
使命を果たしたら、役割が終わって、死ぬ。
AIにできることはAIに任せたらいい。
仕事は取られたほうがいい。
本当にAIに人間の代わりができるのなら代わってもらえばいい。
AI含めて、他の人ができることをあなたがやる意味はない。
人間は人間にしかできないことをする。
自分は自分にしかできないことをやる。
もし人間にできることが全てAIにできるなら、全てAIに任せて、人類は全員死んでいい。
実際は人間の存在理由が何かあって、それだけはAIにも奪えないんじゃないかなーと思うので、何かは残りそうだけど。
基本的な考え方としては、AIにできることはAIに任せたらいい。
- 「AIに仕事を奪われる」ではなく、本当にAIにできることはAIに任せたらいい。
- 人間は人間にしかできない本来の役割を果たす。
- あなたはあなたにしか果たせない役割を果たす。
肉の脂を除いたり、筋を取ったりする下ごしらえを「肉掃除」と言う。
「肉磨き」はその先の下ごしらえ。
肉を掃除する、肉を磨くって言うんだね。
洗濯機に洗濯物を詰めすぎるときれいにならない気がするんだけど、気がするだけかもしれない。実際そうなのかもしれない。確認が難しい。
洗濯機メーカーには研究データが山ほどあるんだろうなー。汚れの落ち方とか布がどのくらい傷むかとか。
で、洗濯物がもりもりになってるので今日も無難に小分けにするです。
ユリの花のある場所では喧嘩が起きないらしい。
そんなふうに、そこにいるだけでいい。
夢は人に話さないほうがいいというのは、基本的に人は変化を嫌い、たいていの人は「私の手の届く範囲から出ていかないで!ずっとここにいて!」という反応をするので、ブレーキにしかならないという話。
例)「私ダイエットしてるんだ」「えー、ドーナツおいしいのに」
「自分のいないところで問題が解決するとイヤだ」みたいな意識があった気がする。
特に若いころ。
自分のおかげと思われたいみたいな何かがあったんでしょう。
お葬式とかは死んだ人のためでなく、残された人たちのために意味があるという話は、だいたいいくつぐらいで知って、実感するようになるのか。
10代ぐらいまではそういう儀式めいたものはとにかく意味がないとしか思えなかったりするのだけど。
「面接では人の目を見て話せ」とかほんとなのかな。今まで面接らしい面接を受けずに生きていたし、今さら考えなくていいんだろうけど、これから面接受けるとしてもそんなに人の目をじろじろ見ないだろうな。
それに変なアクションするから面接官の視線がそっちに行っちゃって目が合わないと思う。
考えてる時も相手の目を見ないから、ほとんど目が合わなさそう。相手の反応を確認する時ぐらいしか顔を見ない。
だいたいほら、相手のほうもそんなにガン飛ばされたくないでしょ。お互い目を合わせるのも心地いい程度にしておけばいいじゃない。